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September 29, 2006

授与されてみる。

休みを取って授与式に参加するために久々に三田キャンパスを訪れたのだ。近くのラーメン二郎には卒業以来1,2回来たが、キャンパスそのものは修士の学位授与式の時から数えて11年半ぶり。さすがに3月のメジャーな時期ではないため、全学合わせて総勢158名。まずは全学の授与対象者を集めて塾長や学部長を集めて代表者のみに授与。そして学部ごとに分かれての授与の2段階となった。なんと学生時代にお世話になったH先生は学部ごとの授与式にご臨席頂いただけでなく、理工学部の博士号授与対象者の立食パーティーにも一緒に参加頂いてしまった。恐縮するばかりである。

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ちなみに、この際だから告白させて頂こう。上の写真は会場に到着して目にした自分の姿格好である。寝坊をしてしまったため、上着の近くにぶら下がっていたパンツを急いで穿いて家を出たらこの有様。ぱっと見判りにくいのだがものの見事にスーツの上着(黒字にストライプ)とパンツ(濃紺)がアンマッチしている。この姿で自宅から駅までバスに乗り、中央線と山手線に乗り、学位記を戴くため壇上に登ってしまった。もう晴れの日の舞台も台無しである。いずれにしても心に残る一日になったのだ。

September 14, 2006

GESTSという論文誌について

職場のメールアドレスにGESTS(Global Engineering, Science, and Technology Society)という団体の編集者を名乗る人間から怪しげなメールが来るようになって久しい。どうやらお隣の韓国に基盤を置く組織のようだが、このいきさつがいかにも怪しい。きっかけは、2003年に欧州では権威のある音声処理学会が主催する国際会議(ICSLP)で発表したのだが、「その論文を(GESTSの)形式に合わせてくれれば論文として出版させてあげよう」というメールがいきなりやってきたことに発端する。つまり「レビューは勝手にこっちでやってあげたんだけど、掲載に値するのでそのまま載せてあげるよ」と言ってきているのだ。ちなみに、その国際会議で発表した多数の人に同様なメールが届いていたようで、その国際会議の主催者は「その組織とはまったく無関係」という異例の声明を出している。

通常、論文誌(ジャーナル)に掲載される論文(full paper)の査読は、

投稿→査読(複数人数の専門家)→条件付採録→修正して再投稿→再査読→採録
というプロセスを経る。ごく稀に起きるようだが一回目の査読で条件付採録(conditionally accepted)ではなくいきなり採録(accepted)になる場合もある。もちろんデキが悪ければ査読結果によってはリジェクト(reject)される。一方、国際会議(conference)では2回目の査読作業は通常なく、最初の査読作業の後にいきなり採否が決まる。内容もページ数もジャーナルよりはハードルが低く設定されていることが常だ。

こうして無事採録(accept)された原稿は、その後に背景や追加実験結果を載せたりしてジャーナル論文(full paper)に膨らませたりして論文誌に再投稿するというのは実は常套手段だったりする。もちろん、たいていのジャーナルではこの行為を許容しているのだが、当然普通の投稿として扱われ、通常と同じプロセスを経て査読が行われる。ジャーナル側にしてみれば、どこの馬の骨ともわからない論文よりはまずどこかでレビューされてacceptされている信頼度の高いものを、更にレビューして完成度を上げて載せれば質の良い論文が掲載されるというメリットもある。

しかし、この団体は別の国際会議で公開された原稿を頼みもしないのに勝手にレビューした挙句(通常は投稿者がレビューを依頼するものだ)、「いい論文だからそのまま掲載してあげる」というのだ。ちょっと考えてみれば何かおかしいぞと思えるだろう。国際会議の原稿であろうと、査読者(ボランティア)が貴重な時間を割いて選出したものなのに、その結果をろくすっぽ前述のような査読プロセスを経ずに横から来てかっさらっていくなんて、失礼極まりない行為ではないだろうか。それに掲載料も通常の論文誌の相場よりも高い。

なんだかどこかで聞いたような話だと思えるのであれば、あなたは鋭い。ディプロマミル(Diploma Mill)に類する方法ではないか。ディプロマミルとは、米国に多く見られる学位を簡単に発行する非公認の学校法人のことを指し、(少なくとも米国では)そのような機関から学位を取得することは学歴詐称行為として問題視されている。何か似ていませんか?

やはりジャーナルに掲載されるレベルの論文を書くのは容易な作業ではなく、研究者はどれぐらいの数の論文を出版したかで価値が決まるところもある(悲しいかな質は二の次だったりするが、質を判断するのは査読者だという考え方もできる)。たとえハードルの低い論文誌であったとしてもページ番号やISBN番号などがつけば「1本」としてカウントされるので、こういった勧誘は本数を稼ぎたい人にはありがたいのだろう。しかし、これは「ちょっと本数が足りないなというような人の弱みにつけこんだ商売」と言い換えることはできないか。もちろん純粋に良いものを広めたいという正当な想いがあるのかもしれいが、きちんとした査読プロセスを経ないで掲載するのであれば、査読付論文として扱うには問題があるのではないだろうか。

実は、ちょっと検索エンジンで調べると、GESTSが発行するジャーナルに掲載された論文を業績リストに載せている研究者が多く散見される。個々の事情は良くわからないので、実はその方々は通常のジャーナルのような査読プロセスを経て掲載にこぎつけた方々なのかもしれない。つまり、私のこの団体に対する印象は根本的に間違っているということだ。その場合は、潔くお詫びして訂正しようと思う。

いずれにしても、今のところ私自身はその団体の発行するジャーナルに投稿はしないだろう。そして、この団体からのメールは今後はSPAMとして扱おうと思うのだ。

September 11, 2006

葉書を受け取ってみる。

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学位授与式(9/29)の連絡が、ご覧のとおり葉書としてやってきた。表書きには博士号の種別と番号が記載されている。私の場合は課程博士ではないので、学生証がないので、この葉書が学位記との引換券の役目を果たすようだ。うっかり失くしたりしないよう気をつけねばならないのだ。

September 5, 2006

博士号の意味について考えてみる。

昨日の夜遅く、無事に学位取得が専攻教員会議で承認されたとの連絡が主査のS先生からもたらされた。

ほっとしたと同時に、実は複雑な気分である。まぁ由緒正しい学校法人が発行しているのであるから世間一般に認められるのかもしれないが、いざ取ってみると「博士号をとったから何になるんだ」ということを考えてしまう。「博士号は『足の裏の米粒』だ。その心は、『とらないと気持ち悪いがとっても食えない』」という言葉をよく見かけるが、その言葉の意味は案外深い。

そもそも乙種の博士(いわゆる論文博士)の制度というのは日本固有の制度であり、規定の本数の論文がジャーナルに掲載されていなければならないという縛りはあるものの、本来ならば通わなければならない大学にほとんど行くことなく学位を申請するということである。この側面だけを見れば、悪名高き「ディプロマミルあるいはディグリーミル」が通信教育を隠れ蓑に簡単に学位を発行しているのと、やっていることはあまり差異はないと言えよう。文科省が論文博士の制度を今後取りやめようと判断したのも無理はないような気もする。

一方、社会人が課程博士としてやっていくというのも非現実的である。つまり仕事を持ちながらもう一回大学院に入学し直し、通いながら学位論文を執筆するということである。そうやって大学に再入学した人は現に職場にいるが、その人たちも毎日通っているわけではない。良くて1ヶ月に1日、ひどい場合は半年に1回なんて場合もあるようだ。誤解を恐れずに言ってしまえば、これは大学が「学費を納めれば学位を発行したげるョ」と言っているのと同義ではないだろうか。この切り口でみれば課程博士であろうと社会人である限りは学位を金(=学費)で買っているようなものかもしれない。それに論文数も成果のうちである大学にしてみれば所属の教員と共著の論文が発行されというメリットもある。そんな現実を目の当たりにしたら、論文博士という制度だけを「廃止すべき」とするのは納得し難い。けど休職して博士課程にきっちり通えというのはもっと非現実的な話だろう。

などとぐるぐると考えていると博士号の価値なんて、いったい何なのか良く分からなくなってくる。果たしてそんな苦労までして取得する価値があるのか。当たり前のことだが、博士号を持っているから良い研究者だと考えるのは早計だ。それは私が身をもっていくらでも証明してあげよう。一方、その逆のパターンを地でいくのが、ノーベル賞受賞で一世を風靡した田中耕一さんだろう。学位を持っていなくとも世の中に貢献できる素晴らしい研究成果をあげることが可能なことを証明してくれた。医師免許を持っているからといって、良い医者も悪い医者もいるのと一緒だ。

昔の上司でもあり、現在国立T大学で教鞭をとっておられるK教授も「博士の学位はスタートラインに過ぎません。学位を取得した後が重要なのです。」とことあるごとにおっしゃっているのを思い出す。博士号を取得したということは、半人前の研究者がひとまず一人前として認められるようになったよ程度の話なのかもしれない。学位は本当に通過点でしかなく「良い研究者」との称号を得るためには、もっともっと努力しなければならないのだ。学位を取って安心している場合ではないと深く肝に銘じておこう。

September 2, 2006

配布用の簡易製本を受け取ってみる。

とうとう届いたのだ。配布用の簡易製本分。勢いに乗って都合50冊も作ってしまったが、配りきれるかどうかは多少不安である。なんだか自分のポエム集を自費出版で発行した人ってこういう気分なのかなぁと想像してみるのだ。

結局、論文製本には結局3業者さんと付き合ったわけだが、各々の業者さんの対応は異なる。ということで自分なりのレビューを書いてみようかと思うのだ。どなたかの参考にでもなれば幸いだ。ちなみに、他の人は私とは違った印象を持たれるかもしれないが、ここに書いてあるのは、あくまでも私が自腹を切って製本をお願いしたときに感じたことであること、そしてこれを読んで実際にお付き合いした人と感想が異なったとしても何も責任を負えないことをあらかじめお断りしておきたい。

  • ヤマザキ製本 :1回目の正式な製本分(黒くて硬いほう)を依頼した。とにかく早い(中一日で完成)。一冊6,000円とちょっと高価であるが、紐しおり、和紙はさみこみ、丸背表紙がデフォルト(他の製本屋は別料金であることが多い)。コピー・印刷はやってくれないので、自分で原稿を必要部数だけ印刷して持ち込み(あるいは郵送)する必要がある。配布用の簡易製本もやっていないようだ。なお建物の前にちょっとした駐車スペースがあるので〆切ぎりぎりの緊急時に大量の原稿を持ち込むときには便利である。
  • 日本文書:2回目の黒くて硬い製本をお願いした(ミスが見つかった後の差し替え分)。メールによるPDF入稿が可能で、印刷出力→製本したものも宅配便で届けてくれるので便利。最安値ではないが十分競争力のある価格設定で、冊数が増えれば単価が減るというようになっているので、多めに製本する向きには最適。製本結果は良い。特別料金を払えば特急で製本もやってもらえるようだ。ちなみに、営業さんとのメールでのやりとりは感じが良かった(納品後にメールによるアンケート依頼があって、カスタマーサービスに力を入れているのが判る)。個人的にはここを推します。
  • 石川製本:簡易製本をお願いした。ここもメールによるPDF入稿ができ、印刷出力→製本したものを宅配してくれる。しかも印刷・製本前に仕上がり見本を送ってもらって確認できるので安心感がある。価格も安いのだが、対応してくれた営業さんがほとんどメールに返事を寄こさないので、実際に納品されるまで不安な時間を過ごした。そういう意味では正直お勧めできない(担当さんの問題かも知れないが)。

September 1, 2006

論文を配り歩いてみる。

副査の先生方のために依頼していた黒くて硬いの(正製本)があがってきたので、午後はお休みを取って大学に行ったのだ。

まずは学事課に行って主論文の差し替え。副査の先生の名前を間違えてしまったため再製本をしたことを説明し、もう平身低頭で差し替えをお願いしたのだ。何とか「今回は特別に許しましょう」と受け取ってもらった。めでたしめでたし。

今回の来訪のもうひとつの目的が、副査の先生方に黒くて硬いのを配り歩くことだ。聞くところによると学位取得でお世話になった先生方に高額な金品を配るという古くから悪習があるとのこと。そもそも自分の稼ぎは大したものではないし、そんな贈賄まがいのことはしたくないという気持ちがある。その反面、感謝の意は示したいという気もあったので、安めの洋風焼き菓子を手土産に持参することにした。先生方は皆さん「そんなことしないでください」とおっしゃってくださる。(本当に安めの品だったことを見抜いてくださったかどうかは判らぬが)何とか受け取ってもらうことは成功した。

あとは、結果を待つのみ。

August 22, 2006

間違いに気づいてみる。

止せばよいのに、自分用の製本された論文をぱらぱらとめくっていて、間違いに気づいてしまった。このミスが本文中のタイポや文法ミスならば「しかたがないか」と放置するところだったのだが、そんな単純な問題ではない。謝辞に記載した副査の先生の名前を間違えているのである(先生方も謝辞までは読んでいらっしゃらなかったということか)。

幸い、副査の先生方に配るための製本(黒くて硬いほう)を依頼しているところなので、急遽原稿の差し替えを依頼した。問題はすでに提出してしまった分である。差し替え効くのかは別にしても(たぶん効く、効くだろう、効くかもしれない、まちょっと覚悟しておけ)、今回の分を余分に増刷しておいて、後日学事課で泣き落としをしてみようかと思うのだ。しかしこの期に及んでこういうドタバタになるとは…。やはり日頃のオコナイが悪すぎるのである。

August 17, 2006

学事課に論文を提出してみる。

指導教官のS先生との待ち合わせに遅刻(いつもながら申し訳ございません)。先生と最終チェックを行い、その足で学事課へ提出。本来、今回の提出物は8/21が〆切であるが、ぎりぎりではなく早めに提出することにした。ちなみに、以前提出していた履歴書や要旨に恥ずかしいミスがあったので、同時に書類も差し替えさせてもらった。また、論文審査要旨は週頭に先生にメールで概要を送っておいたものを、先生が加筆したものをプリントアウトして同時に提出。一応その場で目視してもらい、誤りがないことを確認。無事受け取ってもらったのだ。

あとは、9/4に予定されている専攻教員会議で受理審査が下りた暁には、晴れてhiwa博士となる。と書いて気づいたのだが、hiwa博士ってなんだか響きがいやらしいですな。それはともかく、残りのToDoは:

 副査の先生方の分の論文を製本して、9/1or4に配り歩く。
 if (9/4の専攻会議で受理) {
  9/15までに学位論文公開手続き
  9/29に学位授与式@Mキャンパス
 }
 知人配布用のソフトカバーの論文を製本し、郵送・配布する。

である。いよいよ終わりが見えてきたのだ。

August 16, 2006

学位論文の執筆環境について書いてみる。

学位論文の道のりについて事細かに書いてあるページは星の数ほどあれど(ってそんなにないか)、どのツールを使って執筆するのかまで書いたページは少ないような気がするので、補完する意味で書いておこうと思うのだ。

言うまでもないと思うが、綺麗な論文の執筆には基本的に(La)TeXは必須だ。

TeXを使えば、Postscriptへ変換でき、更にPDFにするのも簡単なので、可搬性(portability)という観点からするとほぼ理想的である。私がまだ学部生だった15年ほど前にTeXと初めて遭遇したのだが、その頃ちょうど全盛期を迎えたワードプロセッサが子供だましに見えてしまうほど美しい出力に感嘆したものだ。レイアウトは自動的に行われるので、コマンドの入力は多少煩わしいものの、執筆に専念できる。また数式の美しさは特筆に価する。理系文系を問わずお勧めしたい。ちなみに現在では、LaTeX2εが主流となっており、便利なスタイルファイルも豊富にあるので、適当な配布形態をインストールしてそのまま使用して問題ない。

とはいえ、この「配布形態」の選択が重要だったりするのだ。というのも、ここの選択を誤ると、やりたいことが限定されてしまう可能性がある。LaTeXをとことん使う目的では、PC/AT互換機(いわゆるDOS/V機?)を使用する場合、今のところほぼ3通りの手段がある。

  1. Linux/FreeBSDなどのUNIX互換OSをインストールする。
  2. Cygwinをインストールする。
  3. TeX for Win32をインストールする。
こうして書いてみると、どれも意外とハードルが高いことに気づく。これだからTeX人口が増えないのだ、というのはさておき。

私の場合は、TeXのインストールには2番目の選択肢を用いることにした。Cygwinを選択した理由は、setup.exeをダブルクリックしてインストールしたいパッケージを選んで「ぽこ」で済むというほぼ理想に近いインストール環境であること、Windowsのアプリケーションをそのまま使える上にX windowも立ち上がるため、いろいろと便利なこと(詳細は後述)である。しかし、問題はCygwinはデフォルトでは日本語をうまく扱えないという問題がある。このため、中丸さんの「Cygwin + X + 日本語アプリケーション」を活用させて頂いた。ここのサイトは細やかにアップデートされているので、非常に良い(余談だが中丸さんは私の研究室の隣の隣にいらした方だが、私のことは覚えておられないだろう…)。ここのパッケージをインストールして地道にCygwinで日本語を使う環境を整えよう。

しかし、上記の中丸パッケージ群には日本語の通るTeXが含まれていない。そのとき、大変ありがたく使わせて貰ったのが、こちらの「Cygwinで日本語TeX - ptetexを簡単インストール」である。ここに記載してあるとおりにインストールすれば、本当に簡単にインストールできる。ちなみにTeXファイルの編集には、お好きなエディタをチョイスするのがよい。私の場合はWindowsで動くemacsであるMeadowだ。

次に考慮しなければならないのが、図をどうやって作成して張り込むかである。TeXはEPS(encapsulated postscript)と相性が良く、graphics.styを使用すれば、そのまま埋め込むことができるのでこれを前提としよう。

ではこのEPSファイルをどうやって作るか。Windowsの場合はWMF2EPSという強力なツールを利用することができる($20なので安いもんだ)。これを使用すれば、Excelのグラフやパワーポイントの図など、WMF(windows meta file)形式のたいていのものはEPSにすることができる。

もし、一から図を書き起こすのであれば、Tgifをお勧めする。ここでCygwin(あるいはUNIX環境)を選ぶ必要性が生じる。というのも、Tgifは基本的にX windowが必要とされるためだ。私が学生の頃はidrawと呼ばれるソフトを使用していたが、現在はもっぱらこちらを愛用している。LinuxなどのUNIX互換OSを選択した場合はRPMなりpackageなりをgetしてインストールすれば良い。環境としてCygwinを選択した場合は、前述の中丸さんの「Cygwin + X + 日本語アプリケーション」にあるパッケージを利用すると良い。

実はTgifは、pstoeditと併用するとその強みが一層発揮できる。というのもTgifはEPSファイルを作成できてもEPSファイルを読み込んで編集することができないからだ。しかし、pstoeditを使用すれば、EPSファイルをTgifの形式に変換して編集することが可能となる。たとえば、私のように古い論文に載せた図(EPSファイル)を一本の学位論文に再構成する場合には、全体的な統一感を出す必要がある。このためにフォントの設定なども含めて再度編集するときなどに実に有効だ。また、WMF→EPS→Tgifというパスを通れば、どれも同じ感覚で編集することもできる。ちなみに、pstoeditは基本的にUNIX環境での動作が前提となっているので注意を要する。Cygwinではコンパイルする必要があるので、この点だけはちょっとハードルが高い(いっそすっぱり諦めて「EPSファイルを編集しない」という選択肢もあることを忘れずに)。

これで、ほぼ論文を書く環境は整ったはず。気が向けば今度は論文のフォーマットやフォントなどの細かいことについて書いてみようかと思うのだ。

(2006/9/22補筆)

August 9, 2006

製本所に出してみる。

やはりお盆の時期にあせって製本所に出すのは避けたいので、早々に出すことを決心したのだ。それでも、学事課は9日から16日まで休みで、論文の提出期限は21日であるから、タイムスロットは3日。きつい。3月授与だと正月休みという強敵がいて、いろいろと事務手続きが滞ってしまうという話は聞いていたが、9月授与にも似たような障害はあったとは(正月休みほどの深刻度はないが)。先日送りつけた論文をご覧になった主査のS先生からは更に何点か軽微な修正点を指摘されたが「これで行きましょう」という許可を頂けた。許可を頂きつつも最後の悪あがきで自己チェックをもう1パス通してみたら、やはり修正点がわさわさと出てくる。バグ(やゴキブリ)と一緒で「一匹いたら10匹いると思え」の世界だ。それに加えて、序章と結論の章は中身に特に興味がなくとも読まれてしまう可能性が高いので、文章も練り直しを行った。

結局、校正作業が終わったのが午前3時。やっぱり文章にはまったく自信はなく、相変わらず格調に乏しい論文であるが、とにかく印刷せねばなるまい。ということで父親から譲り受けた古めのレーザープリンタに、ITO-YAブランドの高級紙(BIO TOP COLOR)をぶち込んでプリント開始。本来ならば紙は銀座の店でまとめて購入するのが安く上がるのだろうが、時間がないので量販カメラ屋で入手した。インク切れに備えて予備のトナーもスタンバイ。

ちなみにこのレーザープリンタは片面印刷しか対応していないのだが、S先生には「このページ数だと片面印刷がよい」とアドバイス頂いていたので必要十分だ。よく考えてみると遠まわしに「薄い」と言われたのだが、それはさておき。いずれにしても「黒くて硬い」製本の方は片面印刷で厚さを稼いで立派に見せ、配り歩く用のは両面印刷ですこしでも安く上げようという方向で行こうかと思う。レーザープリンタは引き取った時点で相当酷使されていたようで内部が非常に汚れており、印刷結果は余白が汚れていたり、斜めに給紙されていたような状態であった。正直、今なら4万も出せば両面印刷対応のモノクロレーザープリンタが手に入るので、買い替えすることも考えた。だがローラーを掃除さえすれば綺麗にプリントアウトできそうな雰囲気だったので、クリーニング道具を購入してローラーの掃除をすることにした。感光体ユニットも汚れていたので(本来ならば触ってはいけないらしいのだが)アルコールで拭いて汚れも除去した。とはいえ、これだけ万全の準備をしても結局刷るのはこんないい加減な論文かと思うと気分も落ち込む。

そんなこんなで明け方までプリンタを酷使して6部を刷り上げた。ほとんど徹夜の状態であるが、ちょっと仮眠を取った後にきちんと全ページを目視して印刷状況に問題がないこと、落丁がないことを確認し、そのまま板橋にあるヤマザキ製本所に持ち込んだ(ちなみに本日は年休)。ちなみにこの期に及んでミスを見つけたりすると大後悔することは必至なので中身は一切読んでいない(逃げ腰)。3日後の8/12(土)に取りに来ることを約束して、とりあえず論文の修正作業からは開放された。
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あとは依頼されている論文審査要旨の原案を先生にメールし、製本されてきた論文を学事課に提出しなければならない。それに加えて、知り合いに配り歩く用のソフトカバーの分も製本を依頼する必要もある(が、これは特に期限が設けられているわけではないので盆休み中にゆっくりと手配すればよい)。しかしソフトカバーはいったい何部ぐらい作ればいいんだろうか。謝辞に列記した人名だけでも30名を超えており、当然それ以外にも送らなければならないだろうし。

August 4, 2006

せっせと修正してみる。

公聴会は辛うじて通過したが、まだ論文そのものを提出するというタスクが残っているのだ。公聴会の後も、主査および副査の先生方には論文草稿について数え切れないほどの改善点を指摘頂いている。ということで仕事を終えて帰宅した後にせっせと修正しているのだ。

しかし、(何をとち狂ったか)英語で書いているので、読み直すと恥ずかしい文法ミスだらけで自己嫌悪に陥る。文章も実に稚拙で、内容はもちろん体裁すら「エレガントな論文」とは程遠い状況だ。読み返せば読み返すだけ修正点が見つかるため、その都度赤入れで真っ赤になる。果てしなくエンドレスに続くうんざりする作業であるが、ここで手を抜くと恥ずかしい状態のものが大学図書館やら国会図書館に納められて永遠に保管されてしまうようなので、さぼることはできない。もし恥ずかしい状態のものが納められてしまった場合は、日本沈没や小惑星激突などといった天変地異に頼らざるをえない。などと他力本願にくだらないことを考えていたら、先人(博士研究者)も指導して下さる先生方も、異口同音に「やっているとキリがないからどこかで止めにしないといけない時が来る」とご助言くださったのをふと思い出す。

ということで、〆切は残酷に近づいてきたということもあり、先人の言葉に甘えて諦めることにしたのだ。そこで主査のS先生に「もうそろそろ製本所に出します」メールを出すと、すぐに「自宅に最終版の原稿を送ってくれ」との指示を頂いた。先生はゼミ合宿やら学会活動やらでお忙しい中、週末にご自宅で目を通してくださるとのこと。本当に感謝である。あともうひと踏ん張りだ。

July 26, 2006

何とか公聴会をクリアしてみる。

朝からそわそわしっぱなしだったのだ。いよいよ公聴会である。さすがに本日は休暇をとったのだが、昼食もろくすっぽ喉を通らない(後にH先生には「hiwaもそんなことあんだなぁ~」と言われた)。

印刷屋に電話をしてとりあえず盆休みの期間も製本をやってもらえそうだという確認をした後、荷物を持って車に乗り込んだのだ。発表用のノートPC、デモ音を再生するための卓上スピーカ、手を入れた論文草稿5部(主査・副査の先生方向け)、回覧用の論文・別刷り集、聴講人数分程度の要旨・業績表、と相当な荷物である。しかも長梅雨ながらも今日は久々に晴れ。こんなたくさんのモノを持って強い日差しの中、スーツを着て電車で移動したら汗まみれになってしまう。ということで、車で移動することにしたのだ。こういうときは大事をとって公衆移動手段を使うのが常識ではあるが、我が家から大学までの移動時間は都心を回るルートで最短が1時間半。大荷物を持って大学にたどり着いたら力尽きて、発表がぐだぐだになってしまったなんていう事態は避けねばなるまい(駅から15分歩いた後の仕上げが急坂だし)。一応OBであるから、学生のときとは違ってイキナリ車で乗り付けても案外簡単に入構許可証が貰えるらしいので活用せねばなるまい。なんと言っても中年だからな。

ちょっと調べてみると、さすが「公聴会」と名がつくだけあって学部のwebでも開催する旨が(一応全世界に日本語で)アナウンスされていたようだ。が、結局聴きにいらして下さったのは、主査・副査の先生方以外は2名のみ(O助手とK客員教授)。主査のS先生も「本当に重要なのは受理申請時の専攻教員会議で、公聴会は儀式のようなものですから」とおっしゃる。

「まぁそういうものなのか」と思いつつも、予定時間からちょっと遅れること15:05、予備審査の時と同じ感じで始まり、予備審査の時と同じように最初のスライドの説明が伸び気味で後ろの方のスライドが詰まる発表(明らかに練習不足)を行った。持ち時間の45分はちょっとオーバーしつつも、質疑応答へなだれこむ。論文チェックの時から指摘されていたが、やはり私の発表からは今後の展望(つまり「明るい未来」みたいな)のビジョンが欠けているようで、そこら辺を重点的につっこまれた。実はそこは弁慶の泣き所でもあり、実は私の専門分野の研究はやればやるほど「暗い未来」しかないように思えてくるのである。だが馬鹿正直にそんなことを言ったら、先生方の評価も翻って折角ここまでやってきたのが全て水の泡と化してしまうので、そんなことはちょっとおくびに出しつつも尤もらしい回答を。儀式とか言いつつ20分以上の質疑応答だった。もっともとんちんかんな質問はなく、至極まともな「素朴な疑問系」の質問だったので、苦労はなかった。

で、直後、発表者本人は部屋から追い出され、残った先生方で最終審査。論文(特に結論)をきっちり修正するという条件つきながらも、「一応こいつには学位をやろうか」ということで落ち着いたらしい。めでたしめでたし、って安心している場合ではない。8/21までに「黒くて硬いの」を学事課に提出せねば、「博士取得見込み」のステータスのままだ。心して論文を修正せねばいけない。しかし、修正しても修正してもバグが見つかるというのはいったいどういうことなのか。

July 21, 2006

論文のコメントを頂戴してみる。

さて26日に開催予定の公聴会まで1週間を切った今日この頃、主査ならびに副査の先生方にお願いしていた学位論文のコメントもだいたい出揃ったのだ。

さすが若手のT先生とI先生は仕事が早く、お願いしておいた20日までにはご返事をメールで頂くことができた(一応T先生は細かい修正分を書き込んだ原稿を26日に渡してくださるとのこと)。残りのS先生、O先生、H先生は催促のメールを出すと即座にご返事を頂けた。期末試験で何かとお忙しい時期だろうに感謝である。ということで、今週末はメールでご指摘いただいた点を反映して公聴会当日に回覧する論文原稿の準備をするのだ。公聴会の発表原稿そのものの準備(といっても予備審査の焼き直し)は先週末にだいたい済ませておいたので、1,2回リハをすればよいだろう。

しかし、8/21までに「黒くて硬い」状態になった(=製本された)論文を学事課に提出するとなると、印刷所のお盆休みに注意せねばならない。製本ができる印刷所をちょっと調べてみると、よさそうなところは

という感じのよう。

後はざっとproof readingをしてくれそうな人を探すことをせねばならないのだが、英語だから結構困難を極めそうな気がするのだ。

July 4, 2006

論文の草稿を配り歩いてみる。

先日書いたとおり論文も何とか形になったので、主査・副査の先生方に論文の草稿を配り歩くために休暇をとって母校をまた訪れたのだ。事前に連絡しておけば原稿を郵便で送りつけてもさほど問題はなさそうだったが、先生方には一応きちんとコメントを頂きたかったので、内容について説明しながら手渡しすることにした。幸運なことに先生方全員のアポを同じ日に取れたので、午後をかけて全員に配り歩くことに成功したのだ。

今後の予定についても主査のS先生とまた相談した。春季授与(9月)を目指すとなると8/21までに公聴会を済ませ、学事課に製本された状態の論文(いわゆる「硬くて黒いの」)を提出しなければならない。だが、この直前は全国的にお盆休みになってしまい、当然大学も休み。しかも、追い討ちをかけるようにS先生は8月頭はいろいろあってご不在とのこと。ということは公聴会(つまり本審査)は7月中に済ませておかなければならない。って今月末じゃないですか。せっかく先生方のコメントが戻ってくるまでは多少のんびりできると思っていたのに、そういうわけにはイカの金玉になってしまったのだ。そういう事情なので先生方にも20日ぐらいまでにコメントを頂くように再度お願いして回る羽目に。とほほ。

次は、


  • コメントを反映して英語のproof readingに出すこと
  • お盆休みもやっていそうな製本業者を探し出すこと

をしなければならない。果たして本当に間に合うのだろうか。

May 23, 2006

またもや母校を訪れてみる。

学位論文の題名に問題があるということで、書類の差し替えのために再度母校へ。主査のS先生とメールを何通も交換して侃々諤々の結果ようやく題名が決まり、要旨もそれにあわせて導入部を変更(前日は11時の帰宅後に作業を開始したので結局夜中の3時まで書類の整理に時間がかかってしまった)。あとは教授会でS先生が受理申請の説明、すなわち「何某がこれこれこういう内容で学位を申請するから皆の衆よろしいか」と宣言するためのA4紙1枚ほどの原稿を用意していたのでそれを渡しておく。後で聞くと、この受理申請が一連の手続きの中で一番の山場だということ(しかも本人不在)。

なんだかんだ言って差し替えは午前中で済んだのだが、次の予定まで時間があったので、S先生の研究室の一角をお借りして論文の執筆に精を出したのだ。そうしたら学事課から携帯に、論文の題名に含まれる「『向けた』が漢字になっていなくて『むけた』になっている書類が一つありますのでお手数ですが修正いただけますか」との連絡。急遽研究室のプリンタをお借りして修正を再度差し替え(午前中で帰ってしまっていたらまたはるばる1時間半かけて書類1枚を差し替えに来なければならなかったので冷や汗ものだった)。しかし、私立大学というのにお役所仕事のような仕事っぷりなのだ。

結局、昼を抜いてまでがんばったお陰で少しは進んだ。次の仕事は、某音響学会(って全然「某」になっていない)の総会への出席。たまたま仕事で頑張った成果が認められて表彰を受けたのだ。何だか今年はツイている。ツキが良すぎて、今年後半にひどいしっぺ返しを食らいそうで怖いのだ。

May 17, 2006

申請手続きをしてみる。

会社を途中で退社して(裁量労働制なのでこういう場合は休みを申請する必要がない)、学位申請のための手続きをしに横浜にある母校へ。到着したのが午後3時ということもあり、学生がわんさかいる。当然二十歳前後の若い女学生もわんさか。まぶしいぃ。若いっていいなぁと(本気で)思う。うーん、できることなら大学生の頃に戻りたい。15年前に戻ってあの無責任でもなんとなく許された時代をもう一度謳歌したいっ。腐るほど時間があったあの時代に戻りたいっ。というのはさておき。

要するに、専修内の予備審査(正確には「セミナー」)も先日合格し、5/2に論文が通って乙種博士号の必要最低条件の論文数(コンピュータ科学専修では4本)を晴れて満たしたので、正式に「受理申請手続き」を行うことになったのだ。慶応大学理工学部では専攻教員会議が1ヶ月に約1回ペースで行われるが、その2週間前までに学事課に必要書類を提出する必要があり、5/31に開催予定の会議に向けた〆切は本日5/17。私の人生、振り返ってみると常にぎりぎりでやってきたが今回も例に漏れずぎりぎりである。

必要書類は事前にwebで入手できる「申請手続き要綱」を何度も読んで入念に準備しておいた。このとき、私が用意しなければならなかった書類は:


  1. 学位申請書
  2. 論文要旨(和文)
  3. 論文要旨(英文)
  4. 履歴書
  5. 論文目録(過去の業績リスト)
  6. 関連著作一式(過去の業績を紙バインダーに綴じたもの)

で、1~5までは、webページからWord形式でダウンロードできる(実に便利な世の中になったものだ)ので、単に埋めていくだけ。6については、目録と対応がとれる配置にしておかなければならないようだ。いずれにしても、予備審査を受けるときにはすべて準備しておくように指示されていたので、今回はチェックをして修正するだけであったが。ちなみに、論文の要旨については(主査の許可を得れば)審査手続きまでは差し替えが利くようだ。一応、提出前には主査のS先生にはアポをとり、書類を一緒にチェックして頂いた。

ところが要綱の下のほうを読むと「指導教員が学事課に下記の書類を提出されたかどうか、念のため指導教員に確認してください。」と書いてある。「ひょっとすると万が一」ということでS先生に確認するとやっぱりやっておられなかったので(まぁこういうのは普通本人がトリガーをかけるものだと思う)、その場で急いで一緒に作成して提出。その書類には専修主任のハンコが要るので実はA先生が不在だったらアウトだった(冷や汗)。

ちなみに、私が学生のときは学事課の職員の方々には結構冷たい対応しかしてもらえなかった記憶しか残っていないが、今回は対応も丁寧でいろいろと融通を利かせて頂いた。特に総務会計の方には、時間外だったにも関わらず(本来は15:00まで)快く審査料金(OBは7万円)を受け取ってもらった。本当に感謝。

とりあえず手続き的なものを終了した後は、S先生の研究室に戻って今後のスケジュールをおおよそ決定した。主査や副査の先生に学位論文を見ていただく必要があるので不確定要素はあるものの、大体は以下の通りとなった。

 専攻教員会議でS先生が説明する議案書の原稿作成。
 6月末までに学位論文を見てもらえる状態(ほぼ完成形)にする。
 while (true) {
  主査・副査の先生方に論文を読んで頂いてコメントをもらう(特にO先生には手渡し)。
  コメントを反映
  if (コメントが出揃い、論文に目処がついたら) break;
 }
 公聴会の設定を主査のS先生にお願いする。
 7月下旬(7/18or24の週)に公聴会を開催。
 if (公聴会後の教授会で承認を得る) {
  論文を確定して製本に出す。
  8/21までに製本した論文を学事課に提出して審査手続きを行う。
  9/29学位授与
 }

S先生は「予定がきつくて無理そうだったら、無理に春学期授与(つまり9月の授与)を狙わずに、秋学期授与(3月)にすれば?」とおっしゃって下さったが、伸ばしても特にメリットはなさそうなので、9月を目指すことにした。いよいよ本気で気を引き締めて論文を書き上げなければならないのだ。

March 23, 2006

予備審査を受けてみる。

一日年休を取って、横浜市にある母校へ。ちょうど卒業式が終わったばかりらしく、はしゃぎ気味の若々しい男女が大学から出てくるのをかき分けて遡上しながらキャンパスへ向かう。だが、このとき、私には「袴姿のうら若き女性も良いなぁ」なんて思う余裕はまるでなかった。なぜなら学位取得に向けた第一歩である予備審査を受けに母校にやってきたからだ。

いらしてくださったのは、主査のS先生以外にO先生(専修外)、K先生、T先生、Y先生、A先生、I先生、O先生、H先生の8名。全然練習をしていなかったが、腕時計をちらちらと確認しながら1分オーバーの46分で発表を終了、質疑応答にもなんとか答えることができた。うち、O先生、I先生、T先生とH先生には副査をお願いすることとなった。ひとまずベルトコンベヤーの上に乗ったことになったようだ。後は4本目の査読が通るのを待ち、学位論文を書き上げ、先生方のスタンプラリーをこなせば良いだけになった。

って、君の行く道は果てしなく遠いのだ。

March 10, 2006

母校で発表練習してみる。

会社は休みを取り、学位取得の主査をお願いしているS先生に予備審査の発表内容を聞いてもらうために、はるばる母校まで赴いたのだ。まずは書類の確認から行ったのだが、恥ずかしいミスをいくつも指摘いただいた。やっつけ仕事でやっているのがバレバレである。発表資料もやっつけ、というかカナリの突貫工事であったのだが、「悪くない」とのお褒め(?)の言葉を頂く。けちょんけちょんに貶されたらどうしようかとヒヤヒヤしていたのでほっとする。まがりなりにも「プロ」の研究者がけちょんけちょんに貶されるようであれば、学位はもちろん今の職業も諦めた方が良いかもしれないが、この期に及んでそれは言わない約束で。

そんなこんなで何とか練習を終えた後は、学生時代にお世話になったH先生と食事。なんと先生がいきつけだという鮨屋につれていってもらう。「なんかこの店テレビで見たことがあるような…」と思っていたら、やはり「いろんな芸能人見るよ」とのこと。席数は少ないのですぐにいっぱいになってしまいそうだが、お客さんが入れ替わり立ち替わりやってくる。ネタは近海ものの魚ばかりで、お店の雰囲気も良い。ご馳走様でした。
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November 22, 2005

学位申請についての覚書

基本的に、博士号には「甲」種と「乙」種がある。甲種はいわゆる「課程博士」と呼ばれ、修士卒業後に3年程度在学してしかるべきことをやった後に学位論文を書いて審査の後に授与されるもの。乙種はいわゆる「論文博士」と呼ばれ、修士卒業後に他機関で研究をやったのちに、しかるべき論文の本数をそろえたのちに学位論文を書いて審査の後に授与されるものである。ちなみに、中央教育審議会の大学院部会は,2005年4月14 日に論文博士制度の廃止を提言する中間報告案をまとめており、乙種の博士号授与がなくなるのは時間の問題と思われる。

現在、私が在学したときとは異なり、大学の組織は理工学大学院→専攻→専修という階層構造である。学位授与までのプロセスは、専攻・専修ごとにローカルルールが存在し、以下は慶應義塾大学理工学研究科開放環境科学専攻コンピュータ科学専修の2006年度時の流れである。ちなみに、偉大な先駆者itojunは、計算機科学専攻(今は「コンピュータ科学専修」)の同期である。

3本目の論文(信学会英文誌特集号)の条件付採録通知がもたらされ、7/19大学・大学院時代にお世話になったH先生に「そろそろ見通しが立ちました」と連絡を入れ、7/28に矢上キャンパスを訪れる。学位論文のあらまし、大学とCS専修を取り巻く現状や、主査の先生についてお話させていただく。結果、主査はS先生に頼むのがよいだろうということになり、H先生からお話をしてもらうと同時に、8/3にいつお伺いしたらよいのかメールでたずねる。現状(4本目が未投稿)を説明すると、まずは4本目を投稿してからでもよいのではないかというご指摘をいただき(ごもっとも)、とりあえずペンディングとなる。

3本目の論文は採録通知が10/3になんとかもたらされ、次いで四苦八苦しながらも4本目を10/20にweb経由で信学会に電子投稿。正式投稿がなされたという通知が10/28に届く。11/10にS先生に「4本目を投稿しましたので学位論文の中身についてお話させてください」とメールを出し、ご予定をお伺いした。

11/22は学園祭の時期と重なってお時間がとれるということで、S先生の研究室をお訪ねし、学位論文のあらましについてご説明差し上げ、今後のスケジュールとtodoを教えていただく。まず「こいつは学位を申請しても良いか」の予備審査を専修毎に行う。箇条書きで書き出すと:


  • この審査は専修内部に閉じられた個別審査であるが、本番の公聴会とほぼ同じ規模の発表を行う。
  • 45分の発表に15分程度の質疑応答であり、それに見合った発表資料を用意する。
  • 他に、配布用(つまり先生方の数だけ)に(1)履歴書、(2)業績リスト、(3)要旨(A4程度、様式はwebからdownloadする)、更に当日回覧用(つまり1部)に(4)別刷りを一冊にまとめたもの、(5)博士論文の下書き(書きかけで良い)を用意しておく。
  • 報告この時点で主査と副査が正式に決定する。副査は専修から2名、それ以外から1名の計3人。(当たり前だが)どなたにやっていただくかは、事前にネゴる必要あり。
  • コンピュータ科学専修では月曜日の午後にやるのが通例になっており、専修内の先生方13人(のうち10人ぐらい)が集まるそう。

ちなみに、予備審査は専修ごとのローカルルールがあるようなので、上記はコンピュータ科学専修にのみ当てはまると思われる。

専修の予備審査でOKとなると、「どうやらこいつが学位を申請したいらしいぞ」ということを専攻で審査してもらい、晴れてOKになると受理申請ができる状態となる。この専攻レベルの会議そのものは各月に1回程度の頻度で行われているらしい(1年分のスケジュールが予め組まれている)。それから1年以内に本審査(受理申請)を行わないと、予備審査結果は無効となり振り出しに戻る羽目になる。

当たり前の話だが、発表のときに注意することは「どうしてこれが博士論文になるのか。学位に値するのか」を説明できなければならないということ。つまり細かいことについてばかり説明するのではなく、学術的および社会的インパクト、意義が説明できなければならない。

以下は重要な参考リンク。